人類進化学の研究者として、人類の起源から現代社会の問題までを論じる、総合地球環境学研究所所長、前・京都大学総長の山極壽一氏とMENTAGRAPH代表 安達淳による心を巡る対話の最終回。人間は弱さを分かち合い、言葉の力で文明を築いてきた一方、逃げ場のない社会に自らを閉じ込め、「自己家畜化」とも呼べる変化を遂げてきたと山極氏は指摘します。対話の結びは、そこからどう抜け出すのか──「野生化」と「メタ認知」をめぐる議論へと向かいます。
⚫︎逃げられる社会へ
山極:要するに逃げられない社会になっちゃったというわけですよ。だから僕は、もっと逃げられる社会にしましょうと訴えている。たとえばいま、小中学校の不登校児が何人いるか、知ってますか。
安達:想像もつかないけれど、相当な数になるんでしょうね。
山極:トータルで35万人を超えたかな。その理由は、学校というのが逃げ場のない教育現場になっているからですよ。今の社会システムにしても住民票を1カ所でしか登録できないでしょう。これも定住を基本として逃げられない社会の象徴だ。自分の居場所を複数の地域に確保できれば、何かあったらそこに逃げればよいわけで、無駄なトラブルを防げる。結局、理不尽な抑圧を受けても、我慢しなければならない社会になってしまった。
安達:なるほど、ただ逃げられないといっても、引っ越せばいいわけですよね。にもかかわらず逃げちゃいけないと、自分で自分を言語的に縛っているのか。あるいはそもそも縛っていることに気づいていないのでしょうか。自分でも気づかないうちに、逃げられないんだと、自分に課しているというか。
山極:そうだね、ただ忘れてはならないのが、人間の文化的基盤は少数の社会の枠を超えていないという事実だ。文化的アイデンティティがあるところが、人間が安心して生きられる空間なんです。これは僕の同僚で霊長類学者のロビン・ダンバーが見つけた法則です。人間の脳は、言葉が登場する前に今の大きさになった。だから、言葉を話すようになったから、脳が大きくなったわけではない。
安達:それは知りませんでした。てっきり言葉が脳を発達させたのだと思っていました。
山極:言葉を話せない猿や類人猿なども調べた結果、大きな集団で暮らすほど、大きな脳を持っている事実が明らかになった。付き合う仲間が増えると、お互いの社会関係などをよく記憶しておくほうが有利に生きられるというわけです。だから脳の大きさは社会関係を記憶する量を増やすために、大きくなったという仮説が生まれた。この仮説を現代人の脳に当てはめると、どうやら社会関係を保てる限界は150人になるとロビン・ダンバーは言っている。
安達:150人というのは多いようでいて、少ないような気もします。具体的には、どのような関係を持てる相手なんでしょうか。
山極:いわゆる顔見知り、顔や性格のわかっている相手だね。自分が何らかのトラブルに陥ったときに、悩みを抱え込んだりせず相談できる相手ともいえる。この数はたとえ今のようにSNSを駆使しているとしても上限は150人、それ以上は広がらない。しかも、その相手とは単に言葉によってできた関係ではなく、過去に喜怒哀楽をともにした相手だ。そうやって身体を共鳴させて、時間もかけて付き合った仲間とでなければ、信頼できる社会関係資本はできない。
安達:話を伺いながら、自分には何人いるんだろうと考えていました。しかもたとえば暮らしている場所で、いわゆる地縁のような結びつきができてしまうと、そこから外に出るのが難しくなりますね。
山極:今ではSNSが流行っていて、地縁なんかは薄れている。ネット上で社会関係資本ができつつあるけれど、やはりオンラインではいろいろ問題も起きる。たとえばなにかといえば過剰に反応したり、敵意が強まったりするでしょう。それはアナログな身体を通じた付き合いではなく、文字やシンボルなどデジタルな記号を使って付き合うからだ。そうなると過剰な意識が芽生えてしまって、だからいま「新部族主義」などといわれるけれど、ネット空間で形成された人間関係は、実はどんどん縮まっている。
安達:以前の目安だった150人に達しないというわけですか。
山極:共鳴や共振を基盤とするのではなく、信望つまり自分が信じるかどうかだけが根拠となるからね。それは宗教と同じで、信望の合う人とだけ付き合う。ところがネットで繋がっている相手については、実体が見えない。それでもいいんだと、自分の安心感を満たしてくれるから。しかし、そんな関係性は本来持続的ではないし、つながりのあるアナログでもないから、すぐに切れる危険性をはらんでいる。
安達:同じ考えを持っている相手だから安心だと。そんなふうに思い込もうとする行為そのものが、科学的ではないというか、ある意味では動物的ですね。
⚫︎機械、そして進む家畜化
山極:一方では人間が機械化してもいる。特に産業革命が起きてから人間は、進んで機械になろうとしてきたわけです。規則に従って生活を組み立て、働く時間を決めて動く。これはロボットと同じですよ。それから月日が流れて、AIが登場した。そのAIつまり機械が、今度は人間になろうとしている。すでにAIは人間を超え始めていて、かたや人間は機械になろうとしているから、やすやすとAIの誘いに乗ってしまう。その結果、人間は考えなくなり、刺激と反応だけで生きるようになってきた。
安達:その点に私も強い危機感を覚えるんです。きちんと自分をメタ化できるかどうか、自分に対するメタ認知が極めて重要ではないか。つまり自分の状態を客観的に知る必要がある。だからMental BatteryサービスとスマートリングMentoring 2のようなツールを開発したのです。
山極:人間は自己家畜化現象を起こしてしまったんだ。これは定住生活とともに始まった現象で、産業革命以降に加速がついている。脳のサイズをみれば、今の人類は3万年前と比べて10%から30%近くも小さくなっているんです。これは家畜化と同じ現象で、家畜の犬は野生の狼と比べると脳の大きさは半分しかない。動物は家畜化すると攻撃性を失い、体格もオスとメスの差が小さくなる。同じことが人間にも起きています。
安達:人間が家畜化しているんですか。
山極:その証拠にホモ・サピエンスになってから、顎が後退しているでしょう。顔が平べったく、細長く小さくなっている。その一方で同じ種なのにたくさん変異が起きていて、頭髪の色や肌の色、体格が大きく変わっている、家畜になった犬の種類がセント・バーナードからチンまで多種多彩なのと同じですよ。自己家畜化現象については、ロシアのベリャーエフという動物学者の実験結果がある。1950年代から野生の銀狐を1000頭ぐらい飼って、その中から人間に従順な個体だけを選抜して育てていくと、21世紀になる前には銀狐が家畜の犬のようになった。つまり、せいぜい20世代ぐらいで野生動物でも家畜にできてしまう。
安達:もしかすると、銀狐を家畜化していったのと同じような環境の中に、人間も置かれているわけですか。いわれてみれば、何もかもが便利になり、特に努力しなくても生きていける環境になっていますね。
山極:野生の銀狐でも従順な個体だけを抜き出して育てていけば、人に従う家畜になるわけです。同じことを人間もやってきたんじゃないか。
安達:そのキッカケの一つとなったのが、産業革命なんですね。たしかに従順に働く人間を増やすほうが、いろいろ都合が良かったんだ。
山極:産業革命を起こすためには国民国家が必要だった。その国民国家とは、教育制度によって保たれています。この仕組みはイギリスから始まり、ヨーロッパが軒並み同じように国民国家になっていった。日本も同じ動きを明治維新から始めた。国家に従順な人材をつくるために教育制度が整備され、人間の自己家畜化が進んだ。
安達:自己家畜化という視点から歴史を見直せば、まさに仰るとおりだと思います。
山極:おかげで従順な若者ばかりになってしまった。だから、もう一度野生化しなければならない、目覚めなければいけないと、僕はあちこちで言ってる。そもそも人間社会において絶対的に重要なヒューマニズムとは、一人ひとりの人間が違うという原則によって保証されているんです。違うからこそ、お互いに付き合う価値がある。みんなが同じようなロボットになってしまったら、付き合う必要などないし、わざわざ付き合うのが面倒だからネットを見ていれば、それでいい。だから今や、一番信頼できるパートナーはAIだという人が増えてるわけです。
安達:その傾向は特に若い人に顕著ですね。友だちはいらない、家族もいらない、AIさえあればいいと、そんな人が増えていると聞きます。
山極:当たり前だよね、個性の異なる人と付き合うのは面倒くさいんだから。しかしだ、面倒くさいからこそ本来はおもしろいんだ。その面白さから身を遠ざける若者が増えている現状には、相当な危機感を覚えますね。

⚫︎メタ認知を復活させ、野生化せよ
安達:私は各種の調査に関わっていますが、なかでも心身の不調を抱えた人が回復するプロジェクトなどを見ていると興味深い事実がわかりました。いわゆる意識高い系の人ほど、規則やルールに縛られて生きづらさを抱え込んでいるのです。ところが、そんな人たちでも、何かのはずみで規則遵守などしなくても大丈夫なんだと思えば、どんどん回復していく。自己家畜化と合わせて考えれば、興味深いところですが、いったん自己家畜化してしまうと、そこから抜け出るのは難しいのではないでしょうか。
山極:いやそんなこともなくて、野生化するための手段はいろいろありますよ。自分のやっている行為を少し離れて、全体的に眺めるのがメタ認知ですから。その典型が信号待ちなんかに出たりするね。
安達:信号待ちとは……?
山極:歩行者用信号のある横断歩道で、クルマが来ていなかったら赤信号でも渡っていいんじゃないのと考える人がいる一方では、信号無視するとはけしからんと思う人もいるでしょう。これについて、どちらがよいかという善悪の問題で考えるわけだけれど、善悪はあくまでも社会が決めたルールであり、人の心のなかに価値として埋まっているわけではない。一方では好き嫌いという判断の次元もあるわけです。ただし好き嫌いは身体と直結しているから、自分の好き嫌いを変えるのは難しい。
安達:信号が赤だから「止まれ」と受け止めるのは、価値レベルでの判断であり、赤でもクルマが来ていないんだから「渡ればいい」というのは好き嫌いレベルの判断というわけですね。
山極:第二次世界大戦後、日本の人たちがそれまでの常識をすっかり反転させてしまったじゃないですか。そんなことができたのは、善悪の問題として以前の常識を捉えていたからですよ。そうではなくて、僕は野生化すべきだといってるんです。これだけ変化の激しい世界の中で生きていくのだから、個人として対処する能力を身につけろと言いたいんです。そのためには、まず常識を疑う必要がある。
安達:終戦で簡単に反転させられたのが常識、だから、今も知らず知らずのうちに従っている常識を、もう一度考え直せという話ですね。
山極:たとえばモノの価値をどうやって決めるのか。今は何でもマーケットが価値を決めています。それなら、まだマーケットの価値が存在していないところへ行けばどうなるか。そこでは価値を自分で決められるわけです。これが野生化につながる一つの手段でしょう。
安達:モノを交換する、その意味ではフリーマーケットやこども食堂なんかも、そんな場といえそうです。
山極:それと正反対なのが、巨大なショッピングモールですよ。そこではモノを買うときの交渉など基本的にできない。そもそも売り場に職員さえいなくて、レジで自動精算するようなシステムになっている。以前は人と人をつなぐ手段だったはずなのに、もはやモノでは人をつなげなくなっている。僕が子どもの頃だったら、産着なんて赤ちゃんのときだけ必要なものだから、使わなくなれば他の人にあげていました。それが今や、ひとたび買ったが最後、人に渡したりしちゃいけないと思い込んでいる。
安達:いわゆる大量生産、大量消費、大量廃棄ですね。その結果として、いまの地球環境はこんなに壊れてしまっている。こども食堂などはお金儲けのために運営されているのではなく、寄付や持ち寄りによって運営されています。
山極:そこに場ができて、人が交流して喜びを分かち合っている。モノとは本来はそのように、人と人をつなぐはずだったんです。ところが、いつの間にか逆にモノが人と人を分断する社会になってしまった。それを補うかのようにSNSができたけれども、実際には補うどころか、さらに分断を進めていますよね。これが現実社会の悲劇じゃないかと思いますね。
安達:野生化のためには、多様な刺激を浴びるのが第一歩であり、今の生活はあまりにも類型化されすぎているため、まず常識を疑う必要があるというわけですね。前提を疑いながら違う世界に踏み込むことで、多様な刺激を受けられる。そんなお話と受け止めました。そのうえで一つ大切なのが、人と話すことだと思うんです。特に知らない人としゃべるのが大きな刺激になる。これってかなり大切な心がけじゃないでしょうか。
山極:だから、僕はこれから発展する産業のトップに、人を集める産業が来ると思うんです。去年の大阪・関西万博で2900万人も人が集まったのは、何かを買うためではなく参加するためでしょう。人が集まり、時間や場を共有する、いわゆる社交産業がこれからの目玉産業になると思います。
安達:参加するためにお金を払う、そんなビジネスが成り立つわけですね。知らない人と話したりすれば、そこで違う自分を発見できる。
山極:人間は、自分で自分を定義したりはできないんです。他人が見た自分が、自分になるわけですから。だとすれば同じ場所でじっとしていたら、自分のイメージは近くにいる人によって固定されてしまう。そこで違う場所に行けば、違う人が自分の新しいところを見つけてくれる。
安達:違う自分を発見できると思えばワクワクします。たとえば都会で会社勤めをしていた人が、田舎に行って畑仕事をするようなものですね。
山極:だから人工的な環境にとどまっていないで、もっと野生化しよう、もっと自分を開けといいたい。いろいろな人と交わって、違う自分を見つけてほしい。そのためには自分についてのメタ認知をしっかり持っておく、これも大切だ。しかし、その集まりをAIに制御させてはいけない。あくまで個人の判断と即興を基に、出会いと気づきを得られる集まりにする必要がある。それが本来の社交というものです。
⚫︎野生へ、ふたたび
常識を疑い、知らない場所へ出かけ、知らない人と話す。山極氏が語る「野生化」は、日常の中から始まるものでした。弱さを分かち合い、言葉で世界を広げてきた人間が、いつしか自らを家畜化してしまった700万年の歩み。この対話は、メタ認知を手がかりに自分自身を知ることの意味を問い直す場となりました。
【プロフィール】
山極壽一(総合地球環境学研究所 所長)
1952年東京都生まれ。京都大学理学部卒、同大学院理学研究科博士後期課程単位取得退学。理学博士。ルワンダ共和国カリソケ研究センター客員研究員、日本モンキーセンター研究員、京都大学霊長類研究所助手、京都大学大学院理学研究科助教授、同教授、同研究科長・理学部長を経て、2020年まで第26代京都大学総長。人類進化論専攻。屋久島で野生ニホンザル、アフリカ各地で野生ゴリラの社会生態学的研究に従事。 日本霊長類学会会長、国際霊長類学会会長、日本学術会議会長、総合科学技術・イノベーション会議議員、2025年国際博覧会(大阪・関西万博)シニアアドバイザーを歴任。
現在、総合地球環境学研究所 所長を務める。南方熊楠賞、アカデミア賞受賞。著書に『人生で大事なことはみんなゴリラから教わった』(2020年、家の光協会)、『スマホを捨てたい子どもたち-野生に学ぶ「未知の時代」の生き方』(2020年、ポプラ新書)、『京大というジャングルでゴリラ学者が考えたこと』(2021年、朝日新書)、『猿声人語』(2022年、青土社)、『共感革命-社交する人類の進化と未来』(2023年、河出新書)、『森の声、ゴリラの目-人類の本質を未来につなぐ』(2024年、小学館新書)、『争いばかりの人間たちへ ゴリラの国から』(2024年、毎日新聞出版)、『老いの思考法』(2025年、文藝春秋)、『ゴリラの森で考える』(2025年、毎日新聞出版)など多数。
安達淳(MENTAGRAPH株式会社 代表取締役/日本たばこ産業株式会社 D-LAB ディレクター)
JTグループのコーポレートR&D組織であるD-LABにおいて、新規事業企画・開発を担い、MENTAGRAPH株式会社を設立。前職はUX系のコンサルティングファームで、2018年より日本たばこ産業株式会社に参画。現在に至る。