言葉が見えないものを見せた──人間を強くした「物語」の功罪

人類進化学の研究者として、人類の起源から現代社会の問題までを論じる、総合地球環境学研究所所長、前・京都大学総長の山極壽一氏とMENTAGRAPH代表 安達淳による心を巡る対話。前回ではお互いに話し足りない部分があったため、日を改めて再度行われた対話の模様をお伝えします。
⚫︎時間の流れと感覚について

安達:前回、相関関係と因果関係の違いについてお話しいただきました。因果関係を考えるのは人間だけだと、先生のこの言葉が強く印象に残っています。

山極:改めて確認しておくと、因果関係とは過去に遡って原因を求めるのだから、そこには時間的な概念が入ってきます。一方で相関関係とは、なにか一つの出来事が起きれば、他の出来事が起きやすくなるという確率の問題でしょう。これは経験値に基づくもので学習もできる。

安達:因果関係には時間の概念が関わってくるのですね。

山極:そのとおりで因果関係を考えれば、過去の出来事が時系列に沿って並んでいるのがわかる。そこには過去から現在という時間の流れがある。だから、過去を参照すれば、現在の先にある未来を見通せるようにもなる。これが、因果関係が持つ強みです。だからといって因果関係と相関関係のどっちがよいなどという単純な話でもない。

安達:たしかに相関関係を理解していれば、何かが起きたときに反射的に行動できるので有利です。逆にいつも因果関係を考えようとすると、反応が遅れるケースも出てきそうです。

山極:たとえば地震が起きたときなどは、咄嗟に対応しなきゃならない。いちいち原因は何だ、などと考えていては逃げ遅れる危険性があるわけです。もう一点、原因を考え始めると反省に至る場合も多い。こんなことが起きた原因は一体何だったのかなどと考え出すと、こんなことをしなければよかったのになどと考えてしまいがちだ。

安達:人間と違って動物は反省したりしないでしょうね。現在をあるがままに生きている。だから、それだけで幸せなんだ。

山極:西田幾多郎は「時間は過去から現在に流れるのではなく、現在から現在へ流れている」という言葉を残しています。これに僕なりの解釈を加えるなら、時間は未来から現在へも流れているのではないか。

安達:お話を伺っていて、日本語独特の表現である「先」という言葉が浮かびました。この「先」という言葉は未来を表す一方で、「先ほど」などという表現で過去も表しますね。そう考えると、時間が未来から現在へ流れるような感覚も、私たちは持っているように思います。

山極:実は動物も未来を考えている、ただ時間的なスケールがとても短いんだけれどね。ゴリラなら筍の季節になると、そろそろだなと思って竹林の中に入ってくる。まだ筍は見えていないけれど、気候の変化や竹林の中の雰囲気から未来を予想している。これは相関関係に基づく近未来予想だね。ゴリラたちは空間を把握していて、それが時間の推移に伴ってどう変わるのかをマップとして理解している。

安達:一種の空間時間地図みたいなものですね。それに基づいて近未来を予想するとは、動物たちもすごい能力を持っているんだ。
⚫︎言葉の力

山極:ただしだよ、長い時間を予測するのは無理なんだ。それができるのは人間だけ、なぜなら人間は言葉を持ったから。言葉とは、目に見えないものを伝える手段なわけです。空間的に目に見えないものとは、遠くにあるもの。一方で未来に起こるであろうけれども、まだ起きていないものも目には見えない。しかし、いずれも言葉がそれを可視化した。ただし人間は、言葉のできる前から物語を持っていたと思うね。

安達:言葉がなくても、物語を持てるのですか。一体どうやって?

山極:道具を使うんだ。たとえば単なる木の棒でも、道具として使えば何らかの仕事をするという機能が付け加えられる。たとえばシロアリを釣るための棒として使えるようになれば、機能性が出てくる。そうなると木の棒を手に入れた時点で、シロアリを釣るという将来の計画が見えてくる。つまり道具を使うのは人間だけじゃない。サルたちでも道具を使う。道具を使って予測できるのだから、言葉はいらないわけだ。

安達:なるほど、道具が言葉の代わりになるわけですね。

山極:サルたちには社会認知能力もある。だから自分と相手を比べてどちらが強いのか、その結果によって行動を変えます。弱いやつは、強いやつにエサを分捕られるのが瞬時にわかるからね。さらに社会的認知能力が高くなると、過去の経験や相手の心の状態を推察しながら、自分の行動を変えたりもする。これは「心の理論」と呼ばれるものだ。

安達:人間ではないのに、心の理論があるのですか。それは初めて聞きました。すごい話ではないですか。

山極:もっとも心の理論は、類人猿以上に当てはまるものだ。そして人間には、それらよりも高いレベルの認知能力がある。類人猿は自分が参加していない状況では、相手の心を読めないけれど、人間はそうじゃないでしょう。自分が参加していなくても、他人同士のやり取りを眺めながら、その人たちが何を考えてやろうとしているのかがわかる。だから自分もそこに加わるかどうかを判断できるし、加わったときに何が起こるのかも考えられる。最終的にどんな結末になるのかまで予想できるわけだ。

安達:そのような能力を人間は、言葉を持つ前から発達させてきたのですね。その過程で道具を使うようになり、他人と交わって社会を複雑にして、社会的認知能力を高めていた。言葉がなくても、そこまでやっていた。

山極:言葉がそれらの能力を一気に拡大した。言葉の前に人間は、80万年前ぐらいから火を使うようになった。それまで夜は真っ暗闇だった。ところが火を使えるようになって、何らかの幻想を共有できるようになったんじゃないか。そのような宗教的な儀礼が始まったのは、農耕牧畜よりも前の話ですよ。トルコでギョベクリ・テペの遺跡が発見されていて、ここからはさまざまな抽象的な構造物が発掘されています。こんなものは、この世にはないものを想像しないと、決して作れなかったはず。

安達:想像力も人間は持つようになった。さらに言葉を使えるようになって、世界が広がった。

山極:言葉があればみんなで共有できるようになるからね。言葉は抽象的なシンボルで重さがないから、いくらでも持ち運びできてしまう。しかも、言葉を使えば、目に見えないものも伝えられる。
⚫︎言葉が人間を強くした

安達:前回、人間は、生き物としての「弱み」を「強み」に変えてきたと教えてもらいました。人間には犬歯も爪もないし、皮膚も弱い。それでも生きていこうとする中で、見えないものを見ることができるのが強みとなり、そこから因果関係も理解できるようになった。これが人間の進化と考えればよいのですか。

山極:まったくそのとおりで、ホモサピエンスとネアンデルタール人の違いは、計画性にある。ホモサピエンスは計画性をみんなで共有できるから、大型の動物を崖に追い込んで捕まえたりできた。ネアンデルタール人は、その規模の集団では動けなかった。その違いは、言葉を持っていたかどうかにある。

安達:お話を伺っていると、言葉の功罪を考えてしまいます。つまり現代は、言葉をうまく使えなくなっていたり、言葉に振り回されているために、良くないことがいろいろ起こっているように思えてきました。

山極:おっしゃるとおりだね。言葉を使い始めた当初は、集団の単位もまだ小さかったはずで、言葉を使って協力体制を組んだ理由は、自然から受ける脅威が山ほどあったからでしょう。何より大きいのは肉食動物からの脅威、これから身を守るために弱い人間は協力し合う必要があったわけです。加えて自然災害もある。その兆候を察知して、みんなで共有して身を守る。言葉はそのために、使われていた。

安達:それらは言葉の良い側面ですね。

山極:ところが言葉はアナロジーをもたらす。さらに食料を生産できるおかげで、人間は定住するようになった。その頃から言葉は、自然災害や猛獣から身を守るためではなく、同じ人間に対して向けられるようになった。人間を他の動物にたとえて「あいつは狼のように陰険だ」などという。

安達:食料を蓄えられるようになり、定住した結果が実はよくなかったというわけですか。

山極:メソポタミア考古学の研究者、ジェームス・スコットが『反穀物の人類史』のなかで書いているけれど、農耕社会は決して豊かな社会ではなかった。農耕は自然の気候変化に大きく左右されるため、作物を収穫できなくなる時期がある。飢饉になると多くの人が亡くなるし、人が集まると伝染病が蔓延する。だから農耕が始まってからも狩猟採集に戻ったりして暮らしていたから農耕が定着するまで4000年もあった。狩猟により小集団で暮らす分には、自然の恵みだけをすくい取っていればよくて、収穫を得られなくなれば移動すればいい。その方が危険を回避しやすかったわけだね。ところが、穀物を栽培し始めて、ある程度の収穫を安定的に見込めるようになると定住し始めた。

安達:農耕により定住へと移っていくのは、まさに今に続く社会の始まりですね。それは進化だと思いますが。

山極:ところが、一概にそうとはいえない。なぜなら定住とは、逆に考えれば逃げられない社会ですよ。それまでなら何かトラブルが起きたときには、お互いに別れてしまえば問題解決となった。しかし、別れられなくなるとどうなるか。格差や権力を容認して、誰かからの支配を受け入れざるを得ない社会が生まれたわけだよね。食料を貯蔵できるようになれば、富を独占する人と収奪される人に分かれてしまう。やがて人口が増えて都市国家が誕生するわけだが、その国家を支えていたのは奴隷ですよ。ジェームス・スコットによれば、最初の都市国家は奴隷国家だった。最初に行われた戦争は領土拡大のためではなく、人々をかり集めてきて奴隷にして穀物を生産するためだった。

安達:その穀物が、税金として使われるのか。そうなると、さらに逃げられない社会、階層の固定された社会へと移っていきますね。

山極:階級を超えるような闘争は起こらないからね。いったん階級を作ってしまえば、下の階級のものは上に刃向かえない。だからヨーロッパなどは今でも格差を認めている社会ですよ。

安達:自由平等をアピールしているけれども、決してそうではないのか。格差の中で所有を個人の権利として認めていて、それが市民社会の基本になっている。ここに何か問題が潜んでいそうです。
⚫︎言葉がつくった世界のゆくえ

道具から物語へ、そして言葉へ──人間は見えないものを共有する力を手にすることで、集団の規模を広げ、文明を築いてきました。しかし言葉は同時に、人を比較し、縛り、逃げられない社会をもつくり出しました。次回、対話の最終回では、そうした社会の中で人間はどう「野生」を取り戻せるのかが問われます。
【プロフィール】
山極壽一(総合地球環境学研究所 所長)
1952年東京都生まれ。京都大学理学部卒、同大学院理学研究科博士後期課程単位取得退学。理学博士。ルワンダ共和国カリソケ研究センター客員研究員、日本モンキーセンター研究員、京都大学霊長類研究所助手、京都大学大学院理学研究科助教授、同教授、同研究科長・理学部長を経て、2020年まで第26代京都大学総長。人類進化論専攻。屋久島で野生ニホンザル、アフリカ各地で野生ゴリラの社会生態学的研究に従事。 日本霊長類学会会長、国際霊長類学会会長、日本学術会議会長、総合科学技術・イノベーション会議議員、2025年国際博覧会(大阪・関西万博)シニアアドバイザーを歴任。
現在、総合地球環境学研究所 所長を務める。南方熊楠賞、アカデミア賞受賞。著書に『人生で大事なことはみんなゴリラから教わった』(2020年、家の光協会)、『スマホを捨てたい子どもたち-野生に学ぶ「未知の時代」の生き方』(2020年、ポプラ新書)、『京大というジャングルでゴリラ学者が考えたこと』(2021年、朝日新書)、『猿声人語』(2022年、青土社)、『共感革命-社交する人類の進化と未来』(2023年、河出新書)、『森の声、ゴリラの目-人類の本質を未来につなぐ』(2024年、小学館新書)、『争いばかりの人間たちへ ゴリラの国から』(2024年、毎日新聞出版)、『老いの思考法』(2025年、文藝春秋)、『ゴリラの森で考える』(2025年、毎日新聞出版)など多数。


安達淳(MENTAGRAPH株式会社 代表取締役/日本たばこ産業株式会社 D-LAB ディレクター)
JTグループのコーポレートR&D組織であるD-LABにおいて、新規事業企画・開発を担い、MENTAGRAPH株式会社を設立。前職はUX系のコンサルティングファームで、2018年より日本たばこ産業株式会社に参画。現在に至る。