“自分”は関係の中にいる──禅僧が語る、心が揺れるほんとうの理由

本シリーズ「心のゆらぎを知る」では、MENTAGRAPH代表の安達淳とさまざまな分野の専門家との対話や、インタビューを通じて、心と向き合うことの意味を探っていきます。

今回のゲストは、臨済宗大本山妙心寺退蔵院副住職の松山大耕氏。禅の教えを現代に生きる言葉で伝え、国内外で幅広い活動を展開しています。

「心の揺らぎ」というテーマに対して、松山氏が最初に持ち出したのは、仏教の根本にある「諸法無我」。自分は独立して存在するのではなく、周りとの関係性の中で初めて生まれるという教えでした。お坊さんとしての自分と、父親としての自分。関係性が変われば、心の揺れ方も変わる。そこから対話は、データで自分を知ることの可能性と限界へと広がっていきます。
⚫︎「自分」は関係性でできている

安達:我々MENTAGRAPHでは、心の状態の変化──「心の揺らぎ」を可視化する取り組みをしています。スマートリング「Mentoring 2」で生体データを計測し、アプリ「Mental Battery」で心の疲労度を見える化することで、自分の状態に気づき、向き合うきっかけを提供したいと考えています。松山さんは「心の揺らぎ」をどのように捉えていらっしゃいますか。

松山:仏教には「諸法無我」という教えがあります。欧米の哲学では、独立した一個人という存在を前提にしますが、仏教の考え方はそうではありません。周りとの関係性の中で、初めて自分という存在が生まれる。そういう見方なんですね。

安達:関係性の中に自分がある、ということでしょうか。

松山:ええ。たとえば私は今、お坊さんとしてお話ししていますが、娘の前ではお父さんとしてしゃべっている。周りとの関係性によって自分が変わるわけです。だから心の揺らぎというのも、関係性が変われば当然変わってきます。

安達:なるほど。人は環境の影響を非常に受けやすい生き物だと、私も常々感じています。自分は変わっていないつもりでも、話す相手が変われば心持ちも変わっている。無意識のうちに常に変化しているという考え方に近いのでしょうか。

松山:おっしゃるとおりです。うちの下の娘がこの間まで幼稚園に通っていたのですが、卒園して送り迎えがなくなると、すごく寂しいんですよ。自分が卒業したわけでもないのに。なぜ寂しいかというと、送り迎えを通じてあった先生や娘との関係性がなくなるからなんです。

安達:関係性がなくなること自体が、寂しさなんですね。

松山:うちの檀家さんにも、長く寝たきりのお母様を介護されていた方がおられました。最後はもう言葉を交わすこともできなかった。でも、亡くなられた瞬間に「自分はあの寝たきりの母に支えられていたんだ」と気づかれたんです。しゃべれるかどうかは別として、そこにいらっしゃること自体が関係性であり、自分の立ち位置をつくっている。コミュニケーションの形はどうであれ、他者との関係性の中で自分は成り立っている。これが仏教的なものの見方です。

安達:作用と反作用のような感覚ですね。ただそこに存在が置かれているだけでも、支えてもらっている。人を捉えるうえで、非常に大事な視点だと感じます。
⚫︎可視化が生む「気づき」とその落とし穴

松山:私もここ数年、スマートウォッチをつけています。きっかけは少し変わっていまして、シリコンバレーでスマートウォッチのデザイナーの方と食事の席でご一緒したことでした。インド系の方で、宗教にも非常に熱心でしてね。「新しいテクノロジーには、必ず新しい倫理的な問題が生じる。そのグレーな部分にどう向き合うかに、宗教の英知が役立つ」とおっしゃるんです。それで「日本に帰ったら一本買って、今度お会いしたときに感想をお伝えします」と約束して、つけ始めたんです。

安達:実際につけてみて、何か変化はありましたか。

松山:自分がどれだけ動いているかが可視化されるので、運動は明らかに増えましたね。「今日は動いていないから、もう少し歩こうか」と。メンタルに関しても同じように、「ちょっと今週は詰めすぎたな」「少し休まないといけないな」とわかるのは、非常に意味があると思います。

安達:まさに、そういう気づきのきっかけを届けたいと考えています。

松山:ただ、ひとつ心配なことがあります。メンタルの数値が良くなかったとして──身体であれば「もっと運動しよう」と前向きに動けます。でもメンタルの場合は、落ち込んでいるときにさらに悪い数値を見せられたら、もっとスパイラルに入ってしまうのではないかと。

安達:おっしゃるとおりで、そこは最も慎重に設計しているところです。我々は「心の疲労度」という概念を使っていまして、一日を生きていれば基本的に疲れていくものだという前提に立っています。だから数値が下がっていくのは自然なことで、そこから「切り替えて休もうか」という方向に導く設計にしています。休むことも立派なアクションですし、逃げることだって打ち手のひとつです。ただ、逃げすぎると今度は向き合えなくなるので、そのバランスは常に意識していますね。
⚫︎遊びの中に入り口をつくる

松山:もうひとつ気になるのは、先ほどのスマートウォッチもそうですが、こういうデバイスは健康に興味がある人にとってはハマると思うんです。でも、本来は絶対に必要な人──そもそも自分の健康に目を向ける余裕がない人たちに届かないというジレンマがありますよね。MENTAGRAPHには、そのあたりの工夫はあるのですか。

安達:まさにここが一番の悩みどころです。ちゃんとデータを読み解いて、次の行動に移せる方は実はとても少ない。松山さんのように、数値を見て「こうなっているのか」と噛みしめて行動に移すのは、実はすごく高度なことなんですね。そこで最近は、まったく違うアプローチを考えています。ゲーム的な要素を入れて、リングをつけること自体をゲームのコントローラーを持つような感覚にしたいんです。メンタルバッテリーの数字を自分のHPゲージに見立てて、「一日を乗り切るゲーム」として遊んでもらう。その結果、一日の成績が気になって振り返ることになり、自然と自分の状態に気づいていけるのではないかと。

松山:なるほど。HPが表示されていて、疲れてきたら寝て回復する、みたいな感じですか(笑)。

安達:まさに、まさにそんな感じです(笑)。遊びの要素を入れて、構えずに自分と向き合える入り口をつくりたいと思っています。

松山:それはいいですね。たとえばお母さんなんかにはすごくいいと思いますよ。子育て中のお母さんは相当なストレスを抱えていますし、無理もしがちです。人が「休んだほうがいい」と言ってもなかなか響かないけれど、実際にデータで「やっぱりこうなっているんだ」と出てきたら、ふと立ち止まるきっかけにはなると思います。すべてが解決するとは思わないけれど、少なからず大勢の人を救うきっかけにはなるのではないでしょうか。
⚫︎関係性と気づきのあいだで

心は独立した個の中にあるのではなく、周りとの関係性の中で揺れ動いている──松山氏の言葉は、MENTAGRAPHが取り組む「心の可視化」に新たな奥行きを与えてくれました。データは万能ではないけれど、自分の状態に気づく「入り口」にはなりうる。そのとき大切なのは、構えずに、遊びのように、自然と自分に目を向けられるデザインなのかもしれません。

次回は、禅の修行の現場から「集中」と「安心」のかたちを探ります。一人では越えられない壁を仲間と越え、意図しない不便さの中で心が自然と整っていく。松山氏の体験が照らす、心との向き合い方の続きです。
【プロフィール】
松山大耕(臨済宗大本山妙心寺 退蔵院 副住職)
1978年京都市生まれ。東京大学大学院農学生命科学研究科修了後、禅寺にて修行生活を経て退蔵院副住職に就任。禅文化を世界に開くことをテーマに、TEDxKyotoへの登壇をはじめ国内外で幅広く活動。著書に『大事なことから忘れなさい──禅的生き方のすすめ』(幻冬舎新書)など。

安達淳(MENTAGRAPH株式会社 代表取締役/日本たばこ産業株式会社 D-LAB ディレクター)
JTグループのコーポレートR&D組織であるD-LABにおいて、新規事業企画・開発を担い、MENTAGRAPH株式会社を設立。前職はUX系のコンサルティングファームで、2018年より日本たばこ産業株式会社に参画。現在に至る。