本シリーズ「心のゆらぎを知る」では、さまざまな分野の専門家へのインタビューや対話を通じて、心と向き合うことの意味を探っていきます。
精神科医の樺沢紫苑氏へのインタビュー、第3回。前回は、「脳疲労」と「病気」の間にある崖──この分岐点を見逃さないことの重要性と、客観データの役割について聞きました。今回は、その崖の手前で踏みとどまるために、日々の暮らしの中でできることに話が広がります。睡眠、人とのつながり、そして自分の状態を言葉にする力。三つの視点から、心を守る方法を探ります。
⚫︎生活習慣の乱れが、心の病の入り口になる
―心の不調を予防するために、日常で何ができるのでしょうか。
樺沢:おそらく日本で一番「生活習慣改善」を言っている精神科医だと自負しています。メンタル疾患の多くは、生活習慣の乱れから起こっています。遺伝的な要素もあるとは思いますが、まず大切なのは睡眠、運動、そして「朝散歩」です。朝散歩というのは、規則正しい生活をしようという意味もあります。夜更かしをしないで、同じ時間に寝て同じ時間に起きるということですね。
―現代人には難しそうですね。
樺沢:今の時代は動画の見放題サイト、ゲーム、SNSなど誘惑が多いですから、特に若い人は夜中まで起きている。そうした生活習慣の乱れに加えて、仕事のストレスや人間関係の問題が重なると、合わせ技でメンタル疾患に至ります。メンタル疾患は一つの原因では起こらないと言われていて、必ず複数の原因が絡んでいる。その中で一番重要なのが生活習慣だと私は考えています。
―逆に言えば、生活習慣が整っていれば耐えられると。
樺沢:きちんと睡眠を取って、運動をしていれば、かなりのストレスがかかっても受け流すことができるのです。良い生活習慣があれば、その日のストレスをその日のうちに処理できます。ところが睡眠時間が6時間以下の人は、その日の疲れを解消できない。睡眠負債という言葉があるように、疲れがどんどん積み上がっていって、いつか爆発する。精神疾患の発病であったり、心筋梗塞や脳卒中として体に出る場合もあります。
―お酒でストレスを解消しようとする人も多いですが。
樺沢:アルコールはストレスを「増やす」ということが最近の研究ではっきりわかっています。一時的に神経が興奮しますが、その後ダウンして脳の神経活動が阻害されます。心が疲れ気味の人がストレス発散のつもりでお酒を飲むと、状態が悪化する。調子が悪い人にとって一番いいのは、早く帰って寝ることです。
⚫︎孤独が心を追い詰める──テレワークの落とし穴
―先生は孤独がメンタルに与える影響についても強調されていますね。
樺沢:メンタルを病む人を見ていくと、やはり友達がいない、あるいはいてもコミュニケーションが苦手で相談できないという人が圧倒的に多いのです。誰かに「最近仕事が忙しくて疲れちゃうんだよね」と一言でも話せるだけで、ストレスはかなり発散できます。困った時に相談する人がいるというだけで、ストレスは大幅に減るのです。
―テレワークはその点でリスクがあるのでしょうか。
樺沢:テレワークは相当メンタルに悪いですね。直接人と会わない、家にいて孤独の中でパソコンに向かう。コロナ以降、テレワークがメンタルに悪いというデータがたくさん出てきています。しかも、テレビ会議では人間の脳が求める「癒し」の効果がほとんど得られないことがわかっています。
―対面と何が違うのですか。
樺沢:オキシトシンという物質が関係しています。オキシトシンはアイコンタクトをともなうコミュニケーションで分泌されるのですが、テレビ電話ではカメラの位置と画面上の目の位置がずれるため、視線が合わない。情報の伝達はできても、癒しや安心感といったコミュニケーションの効果はほぼ得られないのです。さらに大きいのが、雑談の喪失です。コロナ前は会議の前後に自然と雑談が生まれていたのに、テレワークになった途端、いきなりアジェンダから始まる。この雑談がなくなったことがメンタルに非常に悪いという研究が数多く出ています。

⚫︎言語化が心を守る
―つながりの中で、「言語化」が大切だと先生はおっしゃっていますね。
樺沢:言語化はすごく重要です。「仕事が忙しくて大変だ」ということすら、多くの人は言わない。言えば上司が「じゃあ少し減らそうか」とか「誰かサポートをつけるよ」とか対応できるのに、言わない限り困っていることすらわからない。弱音を吐くのは恥ずかしいという日本の文化がありますが、「ちょっとこれ難しいので教えてください」と気軽に言えるようにしておくことが、心を守る大きな力になります。
―しかし、メンタルが悪くなった段階では余計に言えなくなりますね。
樺沢:その通りです。だから普段から「些細なことでも話せる関係性」を作っておくことが重要なのです。普段相談できない上司に、自分のメンタルが悪くなった時だけ相談できるわけがありません。仕事のちょっとした困りごとを日常的に話せる関係性があれば、メンタルの問題も自然と話せるようになる。いきなり「調子悪そうだけどどう?」と関わり始めても、信頼関係がなければ「大丈夫です」で終わってしまいます。
―1on1ミーティングはどう活用すべきでしょうか。
樺沢:1on1は直属の上司がやるとうまくいかないケースが多いですね。心理的安全性が確保されていないと、本当のことを話せない。「最近調子が悪い」と言ったら産業医に回されて業務内容が変わってしまうかもしれない。そう思うと何も言えなくなる。むしろ仕事の話だけでなく、日常的な雑談を交えることが大事です。精神科の診察でも、「最近何か楽しいことあった?」という普通の雑談をしている中で、表情や反応からメンタルの状態が見えてくるものです。
⚫︎崖の手前で止まるための日常
睡眠を整え、人とのつながりを保ち、自分の状態を言葉にする。樺沢氏が語る心の予防策は、特別なことではなく日々の暮らしの中にあります。ただし「些細なことを話せる関係性」は、一朝一夕には築けません。普段からの積み重ねが、いざという時の防波堤になる。次回は、心の豊かさを積極的につくるための方法論──三つの幸福物質と、組織を変えるポジティブフィードバックについて聞きます。
【プロフィール】
樺沢紫苑(精神科医、作家、映画評論家)
1965年札幌生まれ。1991年、札幌医科大学医学部を卒業し、同大学神経精神医学講座に入局。2004年より米国シカゴのイリノイ大学精神科に3年間留学。帰国後、東京にて樺沢心理学研究所を設立する。「情報発信によるメンタル疾患の予防」をビジョンに掲げ、インターネット媒体を通じて精神医学・心理学・脳科学の知識や情報をわかりやすく発信している。情報発信歴は20年を超え、メールマガジン、X、Facebook、YouTube、Instagramなど複数のネット媒体で累計100万人以上のフォロワーを擁する。「日本一アウトプットする精神科医」として知られ、シリーズ累計270万部を超える『アウトプット大全』『インプット大全』(サンクチュアリ出版)をはじめ、著書は55冊に及ぶ(2026年現在)。