本シリーズ「心のゆらぎを知る」では、さまざまな分野の専門家へのインタビューや対話を通じて、心と向き合うことの意味を探っていきます。
精神科医の樺沢紫苑氏へのインタビュー、第2回。前回は、自分の心の不調は自分ではほとんど気づけないという問題と、睡眠の乱れやミスの増加が心のSOSであることを聞きました。今回は、不調を抱えた人がなぜ「大丈夫です」と言ってしまうのか、そして早期発見がなぜ決定的に重要なのか──「脳疲労」という概念を軸に、話が深まります。
⚫︎「大丈夫です」は、大丈夫でない証拠
―前回、ミスの増加が心の不調のサインだと伺いました。上司が気づいて声をかけた場合、本人はどう反応するのでしょうか。
樺沢:「大丈夫です」と言います。ほぼ間違いなく。これがやっかいなところです。上司が「ミスが多いけど大丈夫か」と聞いた時に、「実は赤ちゃんが生まれたばかりで夜なかなか眠れなくて」と自分の状態を説明できる人は、メタ認知ができている証拠ですから、そこまで心配はいりません。しかし9割以上の人は「大丈夫です、たまたまです、頑張りますのでよろしくお願いします」と言います。こういう反応が返ってきたら要注意です。
―「大丈夫」と言うから大丈夫なのだろうと思ってしまいますが。
樺沢:そこでスルーしてしまうのが、一番ダメなパターンです。本人の言葉はあまり信用できないのです。さらに「取り繕い」という症状があります。調子が悪い人ほど、それを知られたくない。だからわざと笑顔をつくって元気に振る舞う。特に心が疲弊している人は、上司や同僚の前でそうしがちです。「取り繕い」によって余計に疲れてしまうのですが、周囲からは思った以上にわからないのです。
―では、何を手がかりにすればいいのでしょうか。
樺沢:本人以外からの情報を見ていくことです。仕事ぶりの変化を観察する、他の同僚から話を聞く。本人の「大丈夫」という言葉だけで判断しないことが大切です。

⚫︎「脳疲労」の段階で気づけば、1週間で戻れる
―心の不調は、一度悪化するとなかなか治らないのでしょうか。
樺沢:これはいろいろな意見がありますが、私の経験則では、病院にかかるまでの期間と同じくらい、回復にも時間がかかります。「1、2週間前から調子が悪い」という人なら、1週間休めばかなり良くなります。しかし実際には「いつ頃から調子が悪くなりましたか」と聞くと、3か月前、半年前と答える方がほとんどです。
―なぜ、そこまで我慢してしまうのですか。
樺沢:真面目で責任感の強い人ほど、会社に迷惑をかけたくないとおっしゃいます。調子が悪くても「なんとか頑張ろう」と諦めない。本来はそこで休むべきなのですが。鉄は熱いうちに打てという言葉がありますが、メンタルもまさにそうです。悪い状態が1年ほど続くと「症状固定」してしまう。骨折を放置して変な形でくっついてしまうようなもので、回復が非常に難しくなります。
―その分岐点が重要だということですね。
樺沢:そこで私が注目しているのが「脳疲労」という概念です。健康と病気の間に「未病」の段階がありますが、メンタルの世界ではこれを脳疲労と呼びます。脳疲労の段階であれば、1週間ぐっすり眠るだけですぐ回復できます。スポーツジムに行き始めたら1か月で元に戻る、それくらいのものです。ところが、脳疲労と病気の間には「崖」があるのです。
―崖ですか。
樺沢:緩やかな傾斜ではなく、崖です。崖から落ちてしまったら、這い上がるのは不可能ではないけれど、相当大変になる。だから脳疲労の段階で気づくことが決定的に重要です。メンタル疾患がある日突然発病することはありません。徐々に疲れが溜まり、2か月、3か月、あるいは半年以上かけて病気に至る。その途中の段階で気づいて生活習慣を整えれば、崖の手前で引き返すことができるのです。
⚫︎客観データは嘘をつかない
―その早期発見に、デバイスやデータは役立つのでしょうか。
樺沢:非常に役立つと思います。メンタルの世界では、これまで客観的な検査がほとんどなかった。医師との対話や質問紙から情報を得るしかないのですが、本人はいくらでも嘘をつけます。仕事を休みたくなければ「調子いいです」と言うし、休みたい人は過剰に「具合悪い」と言う。しかし睡眠データのような身体データは嘘をつきません。
―メンタルの話はされたくなくても、睡眠なら受け入れやすい、と。
樺沢:そこが重要です。「最近、気分が落ち込み気味ですね」と言われると、人はそれを受け入れたくない。しかし「最近ちょっと睡眠時間足りなくない?」と言われたら、物理的な事実だから「確かにそうですね」と受け入れられる。客観データは否定のしようがないのです。本人が気づくきっかけにもなりますし、それでも休まない人に対しては、「病院に行った方がいいね」という説得材料にもなります。
⚫︎分岐点を見逃さないために
「大丈夫です」という言葉の裏に、深刻なSOSが隠れていることがある。樺沢氏は、メンタル不調の回復の鍵は「気づくタイミング」にあると語ります。脳疲労の段階なら1週間で戻れるが、崖を越えてしまえば回復には何倍もの時間がかかる。客観的な身体データは、その分岐点で立ち止まるための道具になり得ます。次回は、心の不調を未然に防ぐ日々の習慣──睡眠、つながり、そして言語化の力について聞きます。
【プロフィール】
樺沢紫苑(精神科医、作家、映画評論家)
1965年札幌生まれ。1991年、札幌医科大学医学部を卒業し、同大学神経精神医学講座に入局。2004年より米国シカゴのイリノイ大学精神科に3年間留学。帰国後、東京にて樺沢心理学研究所を設立する。「情報発信によるメンタル疾患の予防」をビジョンに掲げ、インターネット媒体を通じて精神医学・心理学・脳科学の知識や情報をわかりやすく発信している。情報発信歴は20年を超え、メールマガジン、X、Facebook、YouTube、Instagramなど複数のネット媒体で累計100万人以上のフォロワーを擁する。「日本一アウトプットする精神科医」として知られ、シリーズ累計270万部を超える『アウトプット大全』『インプット大全』(サンクチュアリ出版)をはじめ、著書は55冊に及ぶ(2026年現在)。