不完全なままでいい──禅僧が説く「安心」という心の自由

臨済宗妙心寺退蔵院副住職の松山大耕氏とMENTAGRAPH代表の安達淳による対話。
前編では、仏教の「諸法無我」の教えから「関係性の中で揺れる心」を見つめ、データによる気づきの可能性について語り合いました。
後編では、禅の修行の現場から対話が始まります。一人では越えられない壁を仲間と越える修行の日々、不便さが生む自然な集中、そして仏教が長い時間をかけて伝えてきた「安心(あんじん)」──不完全なままの自分を受け容れるという境地へ、議論が深まっていきます。
⚫︎一人では越えられない壁を、仲間と越える

安達:先ほどの話のように、メンタルヘルスに構えずに向き合うために、ゲームの要素を入れたいと考えています。一方で、禅の修行ではそういった仕掛けがなくても、厳しい日々をやり遂げていらっしゃる。修行をされている方々は、どうやって自分を保っているのでしょうか。

松山:非常にいい質問ですね。禅の道場は「叢林(そうりん)」といって、大きくなろうとしている若木がたくさん生えている、いわば「ブッシュ」のような状態です。一年のうちで最も厳しいのが、12月1日から8日までの「臘八大接心(ろうはつおおぜっしん)」。一瞬たりとも横にならず、ひたすら坐禅をする不眠不休の修行です。こんなことは、一人では絶対にできません。

安達:よほどの覚悟がないと難しいですよね。

松山:
覚悟だけでは足りないんです。できるのは、仲間がいるからなんですよ。同じ境遇にいて、お互いに向き合いながら坐っている。寝ていたらすぐバレますし、今の資本主義社会の競争とは違う、本当の意味での切磋琢磨がそこにはあります。ポイントがなくても、周りの姿を見て自分を律することができるんです。

安達:仲間の存在が支えになっている。ただ、その前提には「やるぞ」という覚悟がすでに決まっている方々の世界なのだろうとも思います。多くの人にとって、自分と向き合うこと自体がなかなか難しい。メタ認知というのは、やはり覚悟が要るんですよね。そこを助けてくれるようなツールを作りたいという思いがあります。

松山:覚悟という意味では、もうひとつ大事なのが指導者の存在です。私の修行時代の老師は当時71歳でしたが、半年ほど付き人をしていたときのことです。朝3時から朝のお勤めが始まるのに、老師はとっくに起きておられた。2時頃から、その日の修行僧への法話の練習をされている声が聞こえてくるんです。

安達:70歳を超えた方が、朝の2時から。

松山:ええ。20代の私たちが眠い眠いと言いながら修行をしている中で、70を超えた方が誰よりも早く起きて準備をされている。それがみんなの共通認識になると、「あの方より自分たちが怠けるとは何事か」という空気が自然と生まれるんです。トップが誰よりもハードワークするという姿勢は、私たちの世界では非常に大きな力を持っています。

安達:そこに一種の規律が生まれるんですね。

松山:帰納法的ではなく、演繹法的というか、トップの雰囲気が変わると、場全体がガラッと変わるんです。今の妙心寺の管長も、就任されて最初の法要で一言読み上げられたとき、場がビシッと引き締まった。「この4年間はこうなるぞ」という空気が、その一瞬で醸成されました。指導者の覚悟が、全体の覚悟をつくるんです。
⚫︎不便が生む集中──意図しないマインドフルネス

安達:修行で朝からずっと坐禅や作務に取り組んでいるとき、「修行するぞ」という気持ちで臨んでいるのでしょうか。それとも、別のマインドがあるのですか。

松山:心持ちとしては、わざわざ不便なことをするんですよ。ご飯を薪で炊いてみたり、庭掃除を竹ぼうきで毎朝同じ場所を掃いたり。すごく手間がかかるし、時間もかかる。でもだからこそ、手順をしっかり追わないと間に合わないんです。たとえば薪でご飯を炊くのは実際に危険な作業ですから、自然にものすごく集中する。

安達:プロセスを複雑にすることで、余計なことを考えずに目の前のことに集中できる状態になるわけですね。

松山:そうなんです。「マインドフルネスだよ」とは一言も言われないのに、そうせざるを得ない環境に勝手に置かれている、という感じですかね。

安達:非常にイメージが湧きますね。最近、部下にフィードバックをするときに、「いろいろ不安が出てくるのは、意外と暇だからじゃないか」という話をすることがあるんです。何かに向き合って集中していると、気づいたら時間が過ぎていて、心が晴れやかになっている。

松山:おっしゃるとおりです。おそらく昔の人たちはそういう生活様式だったから、メンタルがやられるということ自体が少なかったんでしょうね。今、京都の京セラ美術館で民芸の展覧会をやっているんですが、クラフトをやっている人たちは精神的な安定感がある方が非常に多いんです。お坊さんの修行をしていないのに、お坊さんと同じくらいの精神的な高みに達している方がいて、浄土真宗の世界では「妙好人(みょうこうにん)」と呼びます。だいたい、手仕事をされている方なんですよ。手作業にずっと没頭していると、悩む暇がないんですね。

安達:自分の外に集中する対象があることで、結果的に自分の状態も良くなっている。修行の環境としては、非常に理にかなった設計ですよね。

松山:今の京都市の松井市長がよく「夢中と感動」とおっしゃっていますが、夢中になれるものがあって、そこに美しさを感じることができれば、これに勝る心の安定はないですね。

安達:本当にいい言葉ですね。

松山:ですから、マインドフルネスをやってやろうと思ってやるマインドフルネスは、マインドフルネスではないんですよ。気づいたら終わっていた、夢中で集中していた、ああすっきりした、後から振り返って「あれはマインドフルネスだったんだな」と思えるもの。それが本来の姿です。意図的にやろうとすると、「どんな効果が得られるんだろう」と功利主義的な思考に入ってしまって、かえって集中できなくなることが多いんです。

安達:私自身も学生時代に滝行をやったことがあるのですが、最初は寒くて呼吸が苦しかった。でも何分か経つと、ふっと身体が軽くなる瞬間があって、そこからはあっという間に終わった感覚がありました。やってみないとわからない身体知ですよね。我々のサービスがそこまでの境地に連れていけるとは思っていませんが、可視化が自分の状態に興味を持つきっかけになる、そういう入り口として機能できるといいなと考えています。

松山:ええ、きっかけとしてはとてもいいと思いますよ。これですべてが解決するとは思いませんが、大勢の人にとって気づきのきっかけにはなりうる。逆に言えば、本当に深い精神的な体験、そして極度のストレス状態の中で何かが飛躍するような非連続的な気づきは、数字の調整では到達し得ない境地です。でも、そこに至る入り口を開くことには、大きな意味があると思います。
⚫︎「安心」という受け容れ方──比較しない豊かさへ

松山:今後、MENTAGRAPHのようなサービスで知れたらいいなと思うのは、自分の特性ですね。仕事でもなんでも、自分のタイプと全然違うことをやってストレスを感じている人がすごく多い。たとえば単純作業をすることで心が安らぐ人もいれば、むしろ苦痛に感じる人もいる。自分の特性を理解した上で、それにふさわしい行動を提案してもらえるような形になれば、より良いですよね。

安達:まさに構想の中に入っていまして、ストレスのタイプ分けを研究しています。たとえば、翌日までの回復は遅いけれどたくさん溜め込める人と、寝ればすぐ回復するけれどキャパシティが小さい人とでは、提案すべき打ち手がまったく違う。そういう個別化されたソリューションを開発しているところです。

松山:それは素晴らしい。ただ、ひとつ気をつけたいことがあります。非常に幸せを感じにくい世の中になっていますが、その理由のひとつに「超比較社会」があると思うんです。お寺も、病院も、大学も、人間自身も、何もかもが比較の対象になっている。メンタルの数値まで比較の道具になっていくとしたら、そこに残るのは優越感と劣等感だけです。それではあまり意味がない。

安達:おっしゃるとおりだと思います。

松山:仏教には「安心(あんしん)」と「安心(あんじん)」の違いがあるんです。「安心(あんしん)」というのは、心が軽やかで悩みも不安もないというイメージですよね。でも、身体で悪いところがひとつもない状態がまずないように、そんな完璧な状態は存在しません。

安達:たしかに。

松山:「安心(あんじん)」はそうではなくて、不安を抱えていてもいいんだよ、それが当たり前なんだよという受け容れ方です。不完全なまま、不安を抱えたまま、「ああ、これで良かったんだ」と思えること。それが安心なんです。だから自分の特性が明らかになったとき、仮にバランスが崩れている部分があったとしても、完璧な人なんていないよ、それでいいんだよという安心が与えられたら、それは最高ですよね。

安達:今の「安心(あんじん)」の概念は、まさに我々がつくりたい世界そのものです。きちんとしなきゃいけない、ちゃんとしなきゃいけないと張り詰めてしまうのではなく、何か欠けているのは前提として受け容れて、その中でどう最善を尽くすか。100点じゃないから悪いわけではない。今のありようの中で、ユーザーの背中をそっと押せるようなものをつくりたいと思っています。

松山:数値化して人と比べるのではなく、自分の特性を知ったうえで、本当の意味で豊かな生き方を築いていく。そのきっかけになるような新しい技術であってほしいなと思います。
⚫︎内と外のあいだで揺れながら

自分は関係性の中にあり、心はひとりでは揺れない。不便な環境に身を置くことで自然と集中が生まれ、夢中になれるものの中に心の安定が宿る。そして不完全な自分をそのまま受け容れる「安心(あんじん)」という心の置きどころ。松山氏が語る禅の知恵は、テクノロジーが心に寄り添うときの大切な指針を示してくれました。
自分の内側に目を向けるメタ認知と、外の世界に没頭する集中。そのどちらかに偏るのではなく、行きつ戻りつしながらバランスを取っていくこと。安達はこの対話を通じて、MENTAGRAPHが目指すべき「揺らぎ」の姿をあらためて見出しました。
【プロフィール】
松山大耕(臨済宗大本山妙心寺 退蔵院 副住職)
1978年京都市生まれ。東京大学大学院農学生命科学研究科修了後、禅寺にて修行生活を経て退蔵院副住職に就任。禅文化を世界に開くことをテーマに、TEDxKyotoへの登壇をはじめ国内外で幅広く活動。著書に『大事なことから忘れなさい──禅的生き方のすすめ』(幻冬舎新書)など。

安達淳(MENTAGRAPH株式会社 代表取締役/日本たばこ産業株式会社 D-LAB ディレクター)
JTグループのコーポレートR&D組織であるD-LABにおいて、新規事業企画・開発を担い、MENTAGRAPH株式会社を設立。前職はUX系のコンサルティングファームで、2018年より日本たばこ産業株式会社に参画。現在に至る。